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名古屋地方裁判所 昭和58年(ワ)1733号 判決 1987年5月08日

原告

松田文代

原告

松田茂

原告

松田実

原告

松田美紀

右四名訴訟代理人弁護士

加藤恭一

被告

松永亮

右訴訟代理人弁護士

後藤昭樹

太田博之

立岡亘

主文

一  被告は原告松田文代に対し金二三二万五〇〇〇円、原告松田茂、同松田実及び松田美紀に対し各金七七万五〇〇〇円及び右各金員に対する昭和五八年六月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その一九を原告らの負担とし、その一を被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告松田文代に対し金六八九三万円、同松田茂、同松田実ならびに同松田美紀に対しそれぞれ金二三九七万円及び右各金員に対する昭和五八年六月二八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告松田文代は亡松田昌俊(以下「昌俊」という。)の妻であり、原告松田茂、同松田実及び同松田美紀はいずれも昌俊の子である。

(二) 被告は、昭和四〇年に医師登録をし、同四八年四月以来、名古屋市内において、アスタークリニックの名称で、内科、循環器科、呼吸器科、放射線科を診療科名とする医院(以下「被告医院」という。)を開業し、同医院で胃、十二指腸直接撮影による診断を行うほか、名古屋市医師会集検部の医師と共に間接撮影による胃検診等を実施している医師である。

2  昌俊の死亡の経緯

(一) 昌俊は、昭和五三年四月一四日以来、たびたび心窩部痛と吐き気を訴えて、被告の診療をうけていたところ、被告は、右症状を訴える昌俊に対し、被告医院において昭和五三年九月二〇日、同五四年三月一二日、同年九月二七日、同五五年一二月八日、同五六年一二月一一日、同五七年一一月八日、同五八年一月二四日にそれぞれ胃部X線透視及び同写真撮影並びに尿、血液の各検査を施行したが、終始、慢性胃炎との診断を繰り返し、いずれもキャベジン、コリオパン、セスデン等のいわゆる胃薬を投与するに止まつた。

(二) 被告の右診療行為にも拘らず、昌俊の胃部不快感は増悪するばかりであつたので、昌俊は、昭和五八年二月三日、国家公務員共済組合連合会名城病院(以下「名城病院」という。)へ入院した。

なお、入院の際、昌俊が持参した名城病院の藤城昇医師あての紹介状には、被告は概略、左記のとおりの記載がなされていた。

診断 急性肝炎、胆のう炎併発?

経過 一月一九日頃より心窩部痛、背部痛を訴え、潰瘍の疑いで一月二四日胃透視施行するも慢性胃炎の所見あるのみ。

(三) 昌俊の入院後ただちに、担当の内科医師相地正文は、閉塞性黄疸を疑い、内視鏡的胆膵管造影を施行したところ、胃壁に広範な癌巣を認めるとともに、癌組織による総胆管の閉塞を認め、胃癌とリンパ腺転移による総胆管閉塞と診断したが、すでに末期癌で手術は不能であると判断し、胃癌切除術は施行されなかつた。

(四) 相地医師は昌俊に対し、胆汁排出管を装着して黄疸の軽減を図るとともに、抗癌剤を投与したが、効果なく、経過不良のうちに、昭和五八年三月一四日午後二時三五分、昌俊は死亡した。

(五) 解剖所見によれば、直接の死因は胃癌であり、その転移が膵臓、両副腎、全身のリンパ腺にみられ、閉塞性黄疸及び癌性腹膜炎が認められた。

3  被告の責任

(一) 前記各診療日に、昌俊と被告との間で、昌俊の前記症状について、医療水準に照らし適切な診断と治療を被告においてなすべき診療契約が各成立したが、被告は、つぎのとおり、右契約上の義務を怠つた結果、医療水準に照らせば遅くとも昭和五六年一二月一一日の診断において、胃癌の診断をするか、内視鏡等の精密検査のために大病院へ転院させるべきところ、これらの措置を採らなかつた。

(1) 被告は、昌俊に対する胃部X線透視・撮影に際し、いわゆるルーチン検査において通常必要とされる撮影体位よりも限定した体位、すなわち背臥位(あおむけに寝た体位で、仰臥位ともいう。以下「背臥位」という。)及び背臥位第一斜位(あおむけのまま、体の右側をX線フイルムに近づけ、約四五度、斜め方向に向いた体位)並びに立位(立つて、X線フイルムに向つた体位)の撮影に止め、かつ、昭和四〇年代後半には、胃部X線撮影上の医療の常識となつていた二重造影法を用いないで、充満法、圧迫法及び粘膜法の手法のみを用いてX線写真を撮影したため、病変部位を発見しうる適確な画像を得られなかつた。

(2) 被告が、前記診療日に撮影した昌俊の胃部各X線写真は画像が不鮮明であつたものの、内科・放射線科を診療科名として掲げる開業医の一般的水準に照らせば、遅くとも昭和五六年一二月一一日撮影のX線写真から昌俊の胃小彎部に胃癌の存在を疑うべき異常を読影すべきであつたのに、被告はこれを見落とした。

(3) 昌俊は、昭和五三年四月一四日以来、継続的に胃部の前記不快感を訴え、長期間の胃薬投与にも拘らず軽快しなかつたのであるから、被告は、遅くとも昭和五六年一二月一一日の診断までには、従前の慢性胃炎の診断を疑い、内視鏡等の精密検査を実施するために昌俊を大病院へ転医させるべきであつたのに、漫然、従前の診療を続けた。

(二) 被告は、前記(一)の(1)ないし(3)の過失により、昌俊から昭和五六年一二月一一日頃までに、胃癌の治療を受けうる機会を奪い、同人に対し死の転帰をもたらしたのであるから、前記(一)の(1)ないし(3)は、同人に対する不法行為をも構成する。

4  因果関係

昌俊の胃癌は、いわゆるボルマンⅡ型進行癌で、小彎部に原発したもので、昭和五五年一二月八日以前に表在癌(いわゆる早期癌)として発現し、同五六年一二月一一日には、いわゆるⅡc型早期癌(表面陥凹型早期癌)の形態となり、同五七年一一月八日には、ボルマンⅡ型進行癌に発育し、同五八年一月二四日時点では、これが顕著に悪化して昌俊の生命を奪う結果となつたものである。したがつて、遅くとも昭和五六年一二月一一日までに癌の診断が下されていたならば、昌俊は、Ⅱc型早期癌の段階で切除手術を受けられたのであるから、早期胃癌の段階で発見、手術した場合の五年生存率が九九パーセントである統計結果に照らして、救命された蓋然性が極めて高い。

5  損害

(一) 昌俊の損害

(1) 逸失利益

昌俊は死亡当時、左記の三社の役員報酬として合計月額一〇〇万円の収入を得ていたから、本人の生活費月額三〇万円を控除し、死亡時年令四九才の就労可能年数一八年に対応する新ホフマン係数一二・六〇三をもとに計算すると、昌俊の生涯逸失利益は金一億〇五八六万円(千円以下切捨)である。

(イ) 商号 日星物産株式会社

(ロ) 商号 明星産業株式会社

(ハ) 商号 株式会社小林豊子着物学院

(2) 慰藉料

昌俊は、原告茂、同実、同美紀の三子の成長を楽しみに家庭生活を営むと共に、右三社の代表取締役として社会的地位も安定し、人生これからという四九才の働き盛りに、被告の医療過誤によつて生命を失つたのであるから、同人の精神的苦痛に対する慰藉料は、金二〇〇〇万円が相当である。

(二) 原告ら固有の損害

(1) 慰藉料

原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は、妻たる原告松田文代につき金三〇〇万円、子たるその余の原告三名につき各自金二〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

原告らの被告に請求し得る弁護士費用は左記金額を下らない。

原告松田文代分 金三〇〇万円

その余の原告三名分合計 金三〇〇万円

(三) 相続

昌俊の前記逸失利益及び慰藉料合計金一億二五八六万円の損害賠償請求権につき、原告松田文代は二分の一である金六二九三万円、その余の原告ら三名は各自六分の一である金二〇九七万円の損害賠償請求権をそれぞれ相続した(千円以下切捨)。

6  よつて、原告らは、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき、原告松田文代に対し金六八九三万円、その余の原告に対し各金二三九七万円及び右各金員に対する本件訴状送達の翌日である昭和五八年六月二八日から右各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)(二)の各事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)のうち、昭和五八年一月二四日に、尿、血液の検査をした事実、同日の診断も慢性胃炎であつた事実、コリオパンが胃薬である事実及び終始、胃薬を投与するに止まつた事実はいずれも否認し、その余は認める。

昭和五三年四月から同五八年二月三日に至るまでの被告の昌俊に対する投薬内容は、別表(一)及び同表付添の薬剤名説明書記載のとおりである。

(二)  請求原因2(二)のうち、「昌俊の胃部不快感は増悪するばかりであつた」事実及び被告が、名城病院への紹介状に記載のとおりの診断をしていた事実は否認し、その余の事実は認める。

昌俊の自覚症状は、昭和五七年暮れ頃までは変化がなく、同年一一月三〇日には昌俊が電話で「食べすぎて鳩尾が痛い」と連絡してきた際にも、同人は、「食べすぎだから薬を飲めばよくなるさ。」と言うに止まり、その後昭和五八年一月七日の電話での対応においても、症状の変化についての訴えはなかつた。その他、家人からの症状の変化についての連絡もなかつた。

なお、名城病院に対する紹介状は昌俊に持参させたため、同人に見られることをおそれ、被告は当時すでに胃、肝道等の悪性腫瘍を十分疑つていたが、ことさら「慢性胃炎の所見あるのみ」と記載したものである。

(三)  請求原因2の(三)ないし(五)は不知。

3(一)  請求原因3(一)本文のうち、原告ら主張の各診療日にその主張の内容の診療契約が成立した事実は認め、その余の事実は否認する。

(1) 請求原因3(一)の(1)のうち、「ルーチン検査において通常必要とされる撮影体位よりも限定した体位の撮影に止め」た事実及び「適確な画像を得られなかつた」事実は否認し、撮影体位及び撮影手法は認める(但し、昭和五六年一二月一一日撮影のX線写真中には、二重造影法によるものが一枚ある。)。

被告は、二重造影法を用いず、撮影技術も胃部の専門医に比べれば優秀であつたとはいえないが、一般開業医としては決して著しく拙劣であつたとはいえない。

昭和五五年一二月八日、同五六年一二月一一日、同五七年一一月八日、同五八年一月二四日に施行した各昌俊の胃部X線撮影(以下「本件各X線診断」という。)の部位、体位、撮影方法及び現時点での読影所見は別表(二)記載のとおりである(但し、昭和五五年の読影所見は除く)。

(2) 請求原因3(一)の(2)のうち、「開業医の一般的水準に照らせば、遅くとも昭和五六年一二月一一日撮影のX線写真から、昌俊の胃小彎部に胃癌の存在を疑うべき異常を読影すべきであつた」との主張は争う。

昌俊は、昭和五六年五月八日、人間ドック専門病院であるオリエンタルクリニックで検診を受け、胃部直接X線撮影の結果、異常なしと診断されている事実に照らせば、一般開業医にすぎない被告が、昭和五六年の段階で異常を発見できないとしても、読影ミスとは言えない。

(3) 請求原因3(一)の(3)の事実は否認する。

(二)  請求原因3(二)の主張は争う。

4  請求原因4の事実は否認する。

昌俊の胃癌は、ボルマン分類(進行癌の肉眼的分類)上は、ボルマンⅢ型であり、組織学的分類では、印環細胞癌又は膠様腺癌の可能性が高い。

ボルマンⅢ型は、潰瘍をつくる点ではⅡ型と同じであるが、Ⅱ型と異なり、限局的でなく、周囲組織に癌が、び慢性に浸潤し、境界不鮮明な広がりを呈し、予後はボルマンⅣ型(いわゆるスキルス)と同様に不良である。組織学的にも、Ⅱ型が高分化または中分化の管状腺癌が多いのに対して、Ⅲ型は低分化腺癌が多く、低分化腺癌ことに印環細胞癌は、浸潤し始めてから進展が早く、かつ遠隔への臓器転移はリンパ行性(リンパ管内に癌細胞が入つて転移する)で、悪性である。

したがつて、仮に昭和五六年一二月以前に癌を発見し、切除手術をしたとしても、すでに浸潤の進行による転移又はリンパ行性転移が生じており、結局救命することはできなかつたと考えられる。

5  請求原因5のうち、昌俊の死亡当時の月収、弁護士費用については不知、その余の事実は否認する。

(一) 昌俊は、その収入の中から、高額の交際費と租税を支出していたため、家族に生活費として渡していたのは月額三〇万円にも満たなかつた。このように、名目上の所得と可処分所得に大きな差がある高額所得者の場合には、租税等を控除して損害を算定すべきである。

(二) 昌俊の就労可能年数は、前記の癌の種類、性質からみて、相当年齢に短縮されるべきであり、六七歳まで就労可能であることを前提とする原告の算定は不合理である。

三  被告の主張

1  (被告の診断)

(一) 昭和五五年一二月八日の診断に際し撮影した昌俊の胃部X線透視撮影の結果では、レリーフの乱れを認める程度の所見しかなく、昭和四八年五月の初診以来、右撮影時まで間歇的に来院又は電話で訴える昌俊の自覚症状は、一過性といえる心窩部不快感、食思不振であり、他覚的には軽度の舌苔を認めるほか、触診でほとんど圧痛を認めない程度のものであつた。以上を総合判断して、被告は「慢性胃炎」と診断した。

(二) 昭和五六年一二月一一日の診断においても、X線透視撮影の結果では、胃とくに小彎側のレリーフ像の乱れを認める程度で特別の異常所見はなく、また自覚症状も右初診以来のものと同様であつたため、以上を総合して「慢性胃炎」と診断した。

ただし、昌俊の症状が長期にわたることから、潰瘍の可能性もあるため、被告は胃の内視鏡検査を受けるよう昌俊に指導したが、同人は「先生の薬を飲めばすつとするから、食べすぎたり、飲みすぎたときは薬を飲んでいるよ。でも胃カメラを飲んでも何の薬にもならない。」と言つて、被告の指導に従おうとしなかつた。

(三) 昭和五七年一一月八日の診察における胃部のX線透視撮影の結果では、ニッシェ、陰影欠損はなく、胃に通過障害もなかつたが、胃粘膜レリーフの粗大、乱れが著しかつたため、被告はある程度悪性腫瘍も心配し、X線写真を昌俊に見せながら、是非一度胃カメラ(内視鏡)検査を受けるよう強硬に勧めたが、昌俊は、「自分では大した症状はないから、癌になつても死んでもそんな検査はしないよ」と言つて、これに応じなかつた。

(四) 昭和五八年一月一九日、昌俊は、前年一一月八日の来院以来初めて被告医院を訪れ、「あれほど言われたのに検査をせず、忙しくて来られなかつた。すまん。体がすごくえらいんだ。」と言いながら診察室に入つて来たが、その外貌は、悪液質を呈しており、その容貌の急変に驚いた被告は、直ちに入院を勧めたが、昌俊は仕事の都合で二月一〇日頃まで入院できないとこれに応じようとしなかつた。一月二四日、被告の電話による再三の来院の勧めに漸く応じて来院した昌俊に対し、胃、十二指腸のX線透視、撮影を行つた結果、明らかなニッシェ、陰影欠損はないと思われたが、胃粘膜のレリーフ像が極めて粗大していることと昌俊の症状から考え、悪性腫瘍の可能性も高いので、同人に対しては「胃潰瘍であるからすぐ入院しなくては大変なことになる。」と説得したが、同人は従前同様これに応じようとせず、その後、二月三日に被告の紹介で名城病院に入院するまで、被告は、二〇パーセントブドウ糖にキャベジンを加えて注射し、痛みをとるために前記鎮痛、鎮痙剤を投与するほかなかつた。

2  仮に、被告のX線写真の撮影技術又は読影力が、開業医の一般的医療水準に照らして劣るところがあつたとしても、以上のとおり、被告は、X線写真から異常所見こそ得られないながら、昭和五六年一二月一一日及び翌五七年一一月八日の診断に際しては、内視鏡検査を強く勧めたのであるから、被告には診療契約上の債務不履行ないし過失は存しないというべきである。

3  仮に、被告に責任があるとしても、前記1のとおり、昌俊が被告の指示に従わなかつたこと、受診の方法も、請求原因2(一)記載のX線等の検査日に突然来院するだけで、その他はほとんど自ら来院せず、使いの者が間歇的に薬を受け取りに来るか、電話で症状を伝えて来るだけで、被告に充分な情報を与えなかつたこと、及び過激な労働、深夜に及ぶ飲食等を続けたことなどが昌俊の死の転帰に寄与したものと解されるから、右事情は、少なくとも慰藉料算定上の減額事由とされるべきである。

四  被告の主張に対する答弁

被告の主張1のうち、被告が昌俊に、内視鏡検査を受けるように勧めた事実は否認し、その余の診療経過は不知。

第三  証拠関係<省略>

理由

一当事者

請求原因1(一)(二)の各事実は当事者間に争いがない。

二被告の診療内容

1  請求原因2(一)(二)のうち、昌俊が昭和五三年四月一四日以来、たびたび心窩部痛と吐き気を訴えて被告医院を訪れ、被告の診療をうけていたこと、被告は、右症状を訴える昌俊に対し、昭和五三年九月二〇日、同五四年三月一二日、同年九月二七日、同五五年一二月八日、同五六年一二月一一日、同五七年一一月八日の各診療日に、胃部X線透視、写真撮影及び尿、血液の各検査を施行し、胃部については、いずれも、慢性胃炎の診断を下し、投薬治療を施したこと、同五八年一月二四日にも胃部X線透視、写真撮影を施行したこと、同年二月三日に昌俊が名城病院に入院したこと、入院に際し、被告が右病院藤城昇医師あてに書いた紹介状には、請求原因2(二)掲記のとおりの記載があつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2(一)  右1認定の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 昭和五三年四月一四日から同五七年一一月八日の診療に至るまでの昌俊の被告に対する主訴は、心窩部痛ないし心窩部不快感であり、昭和五五年頃から舌苔も認められるようになつた。そして昭和五七年暮頃からは、とくに心窩部痛が強くなつたが、同年一一月八日の診察後、翌五八年一月一九日まで被告医院に出向いて診察を受けることはなく、右症状を電話で被告に連絡し、使いの者に薬を受け取らせていた。

(2) 被告は、前記1認定の各診察日に、昌俊の胃部のX線検査を施したが、昭和五六年一二月一一日に、胃粘膜ひだ(レリーフ)像の乱れ、昭和五七年一一月八日には、同レリーフの粗大、昭和五八年一月二四日には、同レリーフ像極めて粗大の各所見が得られたものの、胃潰瘍のX線所見であるニッシェ(潰瘍による胃壁の凹みに入つた造影剤の溜りを示す陰影)や、胃癌のX線所見である陰影欠損(壁面曲線のあるべき形の一部がけずり取られたように造影されない状態)は、昭和五八年一月二四日のX線検査に至つても、読影できなかつた。そして、被告は、以上の昌俊の症状及びX線検査結果等を総合して、昭和五七年一一月八日の診断に至るまで、昌俊の前記症状は慢性胃炎によるものと診断し(他の症状について、高尿酸血症、真正糖尿病及び頸肩腕症候群の診断も付加されている。)なお胃潰瘍を疑う程度に止まつていた。

(3) 昭和五八年一月一九日に昌俊が身体の衰弱を訴えて被告医院を訪れたが、同人が悪液質の外貌(るい痩激しく、顔色がなく、皮膚が乾燥して、眼光だけが異常に光る顔貌)を呈していたため、悪性腫瘍を疑つたが、同月二四日のX線検査でも前記のとおり、ニッシェ、陰影欠損の所見を得られなかつたことから、胃体小彎部の癌を発見できなかつた。

そして、同年二月二日に被告医院を訪れた昌俊に黄疸の症状が見られ、同日、実施した血液検査の結果、肝機能の低下が認められたことと同人の前記症状とを総合して、被告は、昌俊を急性肝炎と診断すると共に、何れかの部位に原発した癌が胆道に転移したものとの疑いを強めた。

しかし、被告は、前記のとおり、癌の原発部位を発見できなかつたため、昌俊が名城病院に入院するに際して、同病院内科部長藤城昇医師あてに書いた紹介状には、「急性肝炎、胆のう炎の疑い」と診断した旨記載すると共に、胃部症状については、以上の経過に基づいて「一月一九日頃より心窩部痛、背部痛を訴え、潰瘍の疑いで胃透視(1/24)実施するも、慢性胃炎の所見あるのみ」と記載した。

(4) 昌俊の胃部症状に対する投薬の内容は、昭和五三年四月以後、昭和五八年二月に至るまで、消化性潰瘍・胃炎治療剤(アルキサ顆粒、アズレン顆粒)及び視床下部作用性抗潰瘍剤(スルピリド、スプロチン、リタモチール)を中心に投与され、さらに、五七年暮れからは、鎮痛剤(インテバン坐薬)や鎮痙剤(セスデン、複合ブスコバン)も投与された。

(二)  被告本人尋問の結果中には、別表(二)の乙号証番号欄に乙8―④Bと表示のX線写真につき、昭和五六年一二月一一日のX線診断の時点で、小彎部にニッシェに類似する陰影を読影し、乙第九号証⑤の写真につき、昭和五七年一一月八日のX線診断の時点で、広範囲の欠損を読影し、乙第一〇号証③D、同号証④ABDの各写真につき、昭和五八年一月二四日のX線診断の時点で、陰影欠損を読影した趣旨の供述と思われる部分があり、成立に争いのない乙第一一、第一二号証にも同旨の記載部分がある。

しかし、前掲甲第一五号証及び乙第四ないし第六号証によれば、被告の診療録の昭和五六年一二月一一日欄には、X線所見として、胃レリーフ像の乱れを認める旨の記載があるに止まること、同じく昭和五七年一一月八日欄には、X線所見として、胃粘膜レリーフ粗大、ニッシェ(一)、陰影欠損(一)、(胃十二指腸バリウム)通過良好と認める旨記載されていること、また、昭和五八年一月二四日欄には、X線所見として、胃粘膜レリーフ像極めて粗大、ニッシェ(一)、陰影欠損(一)、(胃十二指腸バリウム)通過緩漫と認める旨記載されていること及び前記昭和五八年二月三日付紹介状には、前記のとおり、「胃透視(1/24)実施するも、慢性胃炎の所見あるのみ」と記載されていることなどに照らすと、被告が、右各X線診断時において、ニッシェ又は陰影欠損を読影していた旨の前記各供述は措信できない。

(三)  また、<証拠>によれば、昌俊が名城病院に入院後、内視鏡検査で胃癌と判明したため、同病院藤城医師が被告医院に出向き、その旨話すと、被告は「やつぱり」と言つたこと、被告本人尋問の結果によれば、被告が昌俊の名城病院入院を手配するにあたり、右藤城医師に「どこかに原発のクレブスがあつて、そのメタ(転移)が胆道系にあるのではないか」という内容の電話をしたことがそれぞれ認められるが、いずれも、被告が最後まで、昌俊の胃小彎部の癌の所見を得られなかつたとする前記(一)の認定と必ずしも矛盾するものではない。

三名城病院での診療及び昌俊の死因

1  請求原因2(三)(四)の各事実(名城病院での診療内容)は、<証拠>により、いずれもこれを認めることができる。

2  請求原因2(五)(昌俊の解剖所見及び死因)につき判断するに、<証拠>によると、次の事実が認められる。

(一)  病理解剖所見については、胃小彎部に五センチメートル大の癌があつて、これが原発部位と考えられ、同所には四・五×五センチメートルの範囲で潰瘍があり、胆道周囲に転移した癌により総胆管が閉塞されたことによつて黄疸が生じており、転移は十二指腸、膵、胆のう、副腎、胆道周囲及びリンパ節各部(胃周囲、膵周囲、腎周囲、大動脈周囲、肝門、肺門)に及んで癌性腹膜炎を併発していたが、肝臓への転移はなかつた。

(二)  組織学的所見では、胃癌は、潰瘍を形成する未分化細胞癌で、漿膜に浸潤が及んでいた。

(三)  直接の死因は、総胆管閉塞による黄疸と胃癌転移による全身衰弱である。

四被告の責任

1  甲第三五号証(政信太郎著「胃のX線診断」)及び第五一号証(雑誌「胃と腸」20巻9号、とくに九八四頁以下)によれば、X線検査を中心とする胃部検査には、集団検診のように、特定の症状を持たない者を対象にする場合、胃愁訴を持つた臨床レベルの患者を対象とし、病変の拾い出し診断(いわゆるスクリーニング)を目的とする場合及び右スクリーニングによつて拾い出された病変の性状を診断する場合(いわゆる精密検査)のそれぞれの段階に応じて、検査方法や精度に違いがあることが認められる。

ところで、本件各X線診断の場合は、前記一、二認定の事実に照らすと、昌俊の心窩部不快感ないし心窩部痛の原因となつている病変の拾い出し診断を目的とする場合(以下、この段階の検査を、「ルーチン検査」という。)であつたものと認められるから、被告には、昌俊の右症状を対象として、診断当時の一般開業医の医療水準に照らし、相当と認められる精度においてルーチン検査(又はそれに代るべき転院等の措置)を施行すべき注意義務が存したものと解される。

2 そこで、被告の施行した本件各X線診断の精度が、当時の一般開業医の医療水準におけるルーチン検査として相当なものであつたか否かにつき検討することとする。

(一)  請求原因3(一)の(1)のうち、本件各X線診断の撮影体位が背臥位、背臥位第一斜位及び立位に限られていたこと及び二重造影法がほとんど用いられず、充満法、圧迫法及び粘膜法のみが用いられたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、本件各X線診断の撮影部位、撮影体位、撮影法及び枚数については、概ね別表(二)のとおりであると認めることができる。

(二)  ところで、原告は、本件各写真の撮影範囲(体位)及び撮影法自体が、ルーチン検査で通常必要とされる水準よりも著しく精度の劣るものである旨主張するので、まず、この点につき判断する。

確かに、鑑定人土井偉誉の鑑定の結果及び<証拠>によれば、胃X線診断の方法として、わが国では、「二重造影法」が開発され、すでに昭和三五年頃には、医学的な評価が固まり胃癌の早期発見を目的とする集団検診が開始されるや、そこでの撮影方法に採用され、昭和四九年に日本胃集団検診学会から標準撮影術式として発表された後は、開業医を含め一般病院のルーチン撮影法の基準とされ、本件各X線診断当時には、早期癌を含む微小病変の発見のためには必須のX線撮影法とされていたこと、従前のX線診断が透視診断に重点を置き、写真はいわば透視診断の証拠として撮影するに止まつていたのに対し、「二重造影法」は写真判定に重点を置いたものであつて、造影剤とともに発泡剤を投与し、胃の内腔を空気でふくらませて胃粘膜ひだを適度に伸ばすと共に、造影剤を体位変換によつて粘膜に薄く塗布することによつて、粘膜面の微細な所見を撮影する方法であること、被告撮影の本件各写真は、X線透視に重点を置いた旧来の撮影法によるものであり、早期癌を含む微小病変の抽出が極めて困難であることが認められる。

しかし、前示のとおり、被告のX線診断の方法は、写真撮影よりもX線透視に重点を置くものであり、被告本人尋問の結果によれば、被告はX線テレビのモニターで透視をして診断し、必要な個所だけを撮影していたものであつて、とくに腹臥位(はらばいの状態で、X線フィルムに背中を向けた体位)については、透視だけで済ますことが多いことが認められること、証人土井偉誉の証言によれば、一般開業医から土井証人のもとへ読影依頼等のために送られて来るX線写真の中には、技術が下手なために二重造影法と言えないような写真が相当ある上、二重造影法を用いない写真も、なお一〇ないし二〇パーセントあると認められることなどに照らすと、X線検査の精度を、撮影された写真の術式だけから判断することはできないのであつて、施行者の読影力、さらに内視鏡検査との併用の程度をも総合して、ルーチン検査としての相当性を判断すべきであると考えられる。

(三)  本件各写真に対する鑑定人土井偉誉の読影結果(その要旨は別表(三)記載のとおり)及び<証拠>によれば、すでに昭和五五年一二月八日撮影の写真には、小彎部に潰瘍瘢痕の所見と疑われる胃壁の伸展抑制(造影剤が入つても胃壁の伸びるべきところが伸びないこと)がみられ、昭和五六年一二月一一日撮影の写真には、右部位に壁伸展抑制と共に、潰瘍またはⅡc型(陥凹性)早期癌の所見であるニッシェが見られることから、前年の潰瘍瘢痕が再燃したと考えられ(成立に争いのない甲第九号証(胃癌取扱い規約)によれば、ボルマン分類は進行胃癌に関するもので、癌の浸潤が粘膜下層までで止まるものはその分類対象にならず、表在癌と定義されてその通用語である早期癌と同意義とされていること、早期癌はその形に応じてⅠないしⅢ型に分類され、Ⅱc型早期癌とは表面が陥凹した形の表在癌をいうことが認められる。また、成立に争いのない甲第三一、第六六号証によれば、潰瘍瘢痕とは必ずしも潰瘍の治癒を意味せず、早期胃癌に合併した潰瘍は瘢痕化と再燃をくり返す、いわゆる″悪性サイクル″の経過をたどり、悪性サイクルの終末像として進行癌になる例も報告されていることが認められる。)、さらに、昭和五七年一一月八日撮影の写真には、同部位の壁伸展抑制が著しいうえ、台形ニッシェ(壁の凹みの底が平面になつているニッシェ)及び陰影欠損と評価すべき辺縁の不整(胃壁を示す陰影のへりが、正常であれば連続した曲線になるべきところ、病変部位がひきつつて伸びないため、凹凸ができること)がみられるところ、台形ニッシェは癌に合併する潰瘍に多く、また、この台形ニッシェの周りで粘膜ひだが切れていることから潰瘍による腫脹で周堤が形成されていると考えられること(<証拠>によれば、ボルマンⅡ又はⅢ型は周堤で囲まれた潰瘍を形成する。)、特に乙第九号証の⑤の写真の陰影欠損が広範で、多発性潰瘍でもこれだけ広範なものはまれであつて、むしろ癌による粘膜肥厚によるものと考えられることを総合すると、小彎部の浸潤性進行癌(ボルマンⅢ型)と診断できること、以上の読影が可能であることが認められる。

(四)  ところで、前掲甲第五一号証(とくに九八九頁以下)によれば、胃部ルーチン検査においては、X線検査と内視鏡検査とを併用するのが通常であるものの、内視鏡検査とのかねあいで、X線検査にどの程度の比重を置くかについては、各施設の方針によつて異なること、大学病院では、X線診断によつて病変部の良性、悪性(癌性)の質的な鑑別まで行なう傾向があるのに対し、一般病院(東京虎の門病院の例)では、X線ルーチン検査の段階では、単なる病変の存在を指摘するに止め、内視鏡検査に比重を置いてスクリーニングを行なつている例もあることなどが認められる一方、壁の伸展性の障害や壁の硬化などの病変の発見はX線検査の方が優れていること(<証拠>では、右の所見は潰瘍や癌の病変所見である。)、また、X線検査をする以上は、X線で診断をつけるべきだとの指摘もなされていることが認められる。また、<証拠>によれば、被告医院は被告医師一人に看護婦、事務員で営む個人医院にすぎず、内視鏡検査の設備を持たないこと、被告は、循環器、呼吸器が専門で消化器は専門外であるため、被告医院において内視鏡検査等を必要とする異常を診断したときは、胃腸科の専門病院を紹介して、内視鏡検査等を依頼するようにしていたこと、他方、被告医院のX線装置はマニュアル式ではあるが、ベットの角度、向きの変換装置やX線テレビのモニター装置のあるもので、二重造影法を施行する上でも遜色のないものであることなどが認められ、さらに、右診断の根拠となるべき病変所見は、壁伸展抑制、辺縁の不整(陰影欠損)及びニッシェであるところ、<証拠>によれば、伸展抑制と辺縁の不整については、二重造影法よりも充満法によつて最もよく抽出されるのであつて、現に、被告が充満法によつて撮影した乙第八号証の⑤及び乙第九号証の⑤には右所見が鮮明に抽出されていること、被告は、すでに昭和五三年から、昌俊の胃部の同一症状に対し、昭和五六年のX線診断に至るまで、少くとも四回のX線検査を継続して来ていることを併せ考えると、被告は、昭和五六年一二月一一日のX線診断において、少くとも異常所見のあることを読影し(いわゆる、病変の存在診断)、この診断に基づいて内視鏡検査又は生検を含むより高度な精密検査の必要性を説明・指示すべき注意義務があつたと認められる(医師法二三条参照)。

しかるに、前記二2認定のとおり、被告は本件各写真について、昭和五七年一一月八日のX線診断に至つてもニッシェないし陰影欠損を読影せず、慢性胃炎の診断を維持したのであつて、読影及び診断に手落ちがあつたものと言わざるを得ない。

(前掲甲第三一号証及び証人相地の証言によれば、心窩部の不快感ないし重圧感は、慢性胃炎、胃潰瘍及び胃癌に共通する症状であり、X線検査によつて、伸展不良、ニッシェ、陰影欠損の所見が得られたものを、胃潰瘍、胃癌の疑いと診断して除外し、なお特定の所見を得られないものを慢性胃炎と診断するのであつて、X線検査によつて、積極的に慢性胃炎と診断をくだすことはできないことが認められる。)

なお被告は、昭和五六年五月八日に、昌俊が、いわゆる人間ドック専門病院であるオリエンタルクリニックで胃部X線直接撮影の検診をうけ、異常なしと診断されている事実に照らして、被告に読影上の過失ありとはいえない旨主張するが、<証拠>によれば、右事実が認められるものの、右証拠によれば、オリエンタルクリニックの検診は「総合健診」と名づけられた、いわゆる健康診断であつて、特定の愁訴に基づきその病変の発見を目的とする、いわゆるルーチン検査とは、その精度を異にすることは先に判示したとおりであり、被告の右過失の認定を左右するものではない。

(五)  さらに、被告は、仮りに読影ミスがあつたとしても、昌俊に対して他院での内視鏡検査を勧めたのだから、結果において過失はなかつた旨主張するのでこの点につき判断するに、<証拠>によれば、昭和五六年一二月一一日のX線診断において、被告は昌俊に対して、他院での内視鏡検査を勧めた事実は認めることができるが、その指示の内容は、X線診断上、具体的な潰瘍等の病変の疑いに基づくものではなく、ただ昌俊が以前から胃弱であつて、レントゲン検査でも胃粘膜が荒れており、右検査だけでは不十分であることを根拠に、毎年一回は胃カメラを飲むように勧めていたというのであるから、右内容の指示をしただけでは、被告が、具体的な異常所見(潰瘍や癌の可能性もある)を診断して、それに対応する適切な処置をするというルーチン検査上の注意義務を尽したことにはならない。

そして、被告が前記注意義務を尽し、昭和五六年三月一一日の時点で具体的な病変の疑いを読影し直ちに昌俊ないしその家人に対し、その必要性を説いて内視鏡、生検等の精密検査を受けるよう指示して転院を勧めたとすれば、昌俊ないし家人が右勧告に従つて名城病院等適当な病院に転院した可能性があることは、昌俊が胃弱を気にして毎年被告医院で胃のX線検査を受けていた事実に照らして、否定できない。

また、昌俊が「癌になつても死んでも内視鏡検査はしない。」と、被告に申し向けた旨の被告本人の供述は、昌俊が毎年胃のX線検査を受けていた事実に照らしてにわかに措信し難く、仮りにそのようなことを言つていたとしても、現実に病変の疑いを指摘された場合にまで検査を拒否する真意であつたとは認め難い。

よつて、被告が前記の内視鏡指示をしたことにより直ちに被告の過失が否定されるものではない。

五因果関係

そこで、昭和五六年一二月一一日のX線診断時の被告の右過失と昌俊の死亡との間の因果関係について判断する。

1 前記三2(二)判示の病理解剖所見及び組織学的所見に、鑑定人土井偉誉の鑑定結果<証拠>を総合すると、右昭和五六年一二月一一日の診断時点における昌俊の症状は、前年にみられた胃体小彎部の多発潰瘍瘢痕が再燃し、Ⅱc型早期癌の疑いが強くもたれるものの、二重造影法による撮影写真でないため、正確な性状の診断はつかないが、昌俊死亡時の原発部位の癌が五センチメートルにも達し、通常一年でこれ程大きくなることは考えにくいことから、すでに進行癌になつていた疑いも捨てきれず、したがって、成立に争いのない甲第九号証(胃癌取扱い規約)により、胃癌の予後の良否を決定する基本的因子と認められる胃壁漿膜面への浸潤の程度及びリンパ節転移の程度が右時点でどこまで進んでいたかについては確定できないと言わざるを得ない。

また、昌俊の癌は、その後の伸展の結果、ボルマン分類におけるⅡ型であるか、Ⅲ型であるかにつき、証人相地正文の証言及び同人が記載した診療録の各記載と鑑定人土井偉誉の判断との間でくい違いがあるが、<証拠>によると、胃癌の予後を判断するうえでは肉眼的分類であるボルマン分類よりも、組織学的分類が重要であるところ、組織学的分類上は、膠様腺癌ないしは印環細胞癌と認められ、いずれにしろ予後は不良と考えられる。

してみると、被告が昭和五六年一二月一一日に、病変の疑いを指摘して直ちに精密検査を指示し、胃癌又は癌性潰瘍が発見、治療されたとしても、これにより昌俊が死の結果を免れたものとは、にわかに認め難い。

2  しかしながら、前記認定のとおり、昭和五六年一二月のX線診断から、一年以上も経過した昭和五八年一月に至つて本件の末期癌の症状(悪液質及び閉塞性黄疸)が発症していること、昭和五六年一二月一一日のX線写真には、Ⅱc型早期癌を疑わせる程度の病変が抽出されているに止まること、前掲甲第九号証により、胃癌の予後の良否及び切除術適応の程度を決定する因子の一つとされていることが認められる肝への転移が本件では認められないことなどの事実に、<証拠>を併せ考えると、

昭和五六年一二月の時点で病変が指摘され、直ちに精密検査及び治療が行なわれていたならば、その期間を明らかにすることはできないが、相当期間延命できた可能性もなかつたとはいえないことが認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

してみると、被告の前記過失によつて、昌俊は延命の機会と可能性を喪失したものと評さざるを得ず、したがって、被告の右過失と昌俊の延命の機会ないし可能性の喪失との間には、相当因果関係があるものと言わざるを得ない。

六損害

1  以上により、被告の過失と相当因果関係のある本件損害は、被告が昭和五六年一二月に病変を指摘しその結果、昌俊が適切な治療を受けたならば、昌俊において期待できた延命期間中の逸失利益及び死期が早められたことに対する慰藉料であると認められるところ、昌俊が果たしてどの程度延命できたのか、また延命期間中に従前同様の労働が可能であつたのかについては、本件の全証拠に照らしてもこれを認定することができず、したがつて、逸失利益の算定は不能と言わざるを得ない。

2  本件では、被告の過失がなければ、相当の延命の可能性もあつたと認められること、しかも、本件各X線診断時には、一般開業医にも普及していた二重造影法を施行せず、精度の劣る撮影によつて四年以上も症状に改善のみられないまま診断が継続されていたこと等の事情を考慮すると、適切な診断によつて生存する機会と可能性が奪われたことに対する精神的苦痛は、被告の過失により通常生ずべき損害として慰藉されるべきであり、その額は金六〇〇万円が相当である。

3  (過失相殺)

前記認定のとおり、被告は、X線診断において潰瘍や癌の病変の読影ができなかつたとは言え、昌俊の慢性胃炎症状が長期に及びかつ、胃のレリーフが粗大(胃粘膜が腫脹していることを示す。)であることから、内視鏡検査を勧めていたにもかかわらず、昌俊がこれに従わなかつたことが認められ、昌俊の右態度が、本件損害の発生に寄与したことは明らかであるから、損害の公平な分担をはかるという過失相殺の趣旨に照らせば、右昌俊の態度はこれを過失として斟酌し、損害賠償額の三割を減じるのが相当である。

4  原告らは、固有の精神的損害を主張するので、この点につき判断するに、先に認定したとおり、本件においては、昌俊の死亡自体は被告の過失に起因するものとは認められず、昌俊本人についても、適切な治療を受け得ずに延命の機会と可能性を奪われた損害が認められるにすぎないのであるから、原告らにおける夫又は父を失つた精神的損害が、被告の過失と相当因果関係あるものと認めることはできないものと言わなければならない。

5  弁護士費用としては、本件事案の性質、難易、請求認容額等に鑑みると、被告の過失と相当因果関係の認められる額は、金四五万円とするのが相当である。

6  原告らの昌俊との間には、請求原因1(一)の身分関係があるから、昌俊の被告に対する損害賠償請求権のうち、原告松田文代は金二三二万五〇〇〇円、その余の原告らは、各金七七万五〇〇〇円の請求権を相続によりそれぞれ取得したものと認められる。

七結論

以上説示のとおり、被告は原告らに対し、民法四一五条ないし七〇九条により前記損害を賠償すべき責任があり、原告らの本訴請求は、原告松田文代については金二三二万五〇〇〇円及びこれに対する不法行為後で本件訴状送達の日の翌日である昭和五八年六月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で、その余の原告らについては各金七七万五〇〇〇円及び右各金員に対する昭和五八年六月二八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからいずれもこれを認容し、その余の請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官猪瀬俊雄 裁判官中島肇 裁判官玉田勝也は転官のため署名捺印することができない。裁判長裁判官猪瀬俊雄)

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